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パーシー・ウィーズリー

提供:いかれたポタペディア


ウィーズリー夫妻の第三子で三男です。兄にビルとチャーリー、弟に双子のフレッドとジョージ、ロン、末の妹にジニーがいます。ホグワーツ在学中はグリフィンドール生、監督生で首席でした。ホグワーツ卒業後は魔法省に入省しました。

基本データ

名前
パーシー・イグネイシャス・ウィーズリー (Percy Ignatius Weasley)
生まれたのは
1976年8月22日[1][2]
種・家系
人間・魔法族(純血)
婚姻
オードリーと2014年までに結婚
性別
男性
出身校
ホグワーツ魔法魔術学校グリフィンドール寮
肩書き
監督生
首席
赤毛
白髪が増え、禿げてきた(2014年)
家族
アーサー(父)
モリー(母)
ビル(兄)
チャーリー(兄)
フレッド(弟)
ジョージ(弟)
ロン(弟)
ジニー(妹)
オードリー(妻)
モリー(娘)
ルーシー(娘)
職業
魔法省官僚
国際魔法協力部
大臣室
魔法運輸部
映画での登場
『ハリー・ポッターと賢者の石』
『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』
『ハリー・ポッターと死の秘宝 Part1』
『ハリー・ポッターと死の秘宝 Part2』

できごと

幼少期

1976年8月22日、アーサーモリー・ウィーズリー夫妻の三男として生まれ、「隠れ穴」と呼ばれるウィーズリー一家の家で育ちます。

ホグワーツに入学するまで、パーシーや他のきょうだい6人は母モリーの教育を受けました。

学生時代

1年生~4年生(1987年9月~1991年8月)

1987年9月、パーシーはホグワーツ魔法魔術学校に入学し、グリフィンドールに組分けされました。グリフィンドールの同級生のうち、シリーズ中で明らかになっている人物にオリバー・ウッドがいます。

1991年夏、今度5年生になるパーシーはグリフィンドールの監督生に選ばれ、学校から監督生バッジが届けられました。このご褒美としてパーシーは父アーサーからメンフクロウのヘルメスを買ってもらいました。それまでパーシーが世話していたペットのネズミ、スキャバーズは弟のロンに譲られました。

ホグワーツ5年生(1991年9月~1992年8月)

おめでとう! 僕は監督生のパーシー・ウィーズリー、グリフィンドール寮に心から歓迎するよ。グリフィンドールの紋章は百獣の王ライオン、寮の色は赤と金、談話室はグリフィンドール塔にある。

端的に言うと、グリフィンドールこそホグワーツで最高の寮だ。ホグワーツで最も勇敢な生徒がここに集ってくるんだ。たとえば、アルバス・ダンブルドアとか! そう、史上最高の魔法使い、ダンブルドアもグリフィンドール生だったんだ! もしこれでピンとこないなら、何を言っていいかわからないよ。

そんなに長くは引き留めないよ、だって僕がハリー・ポッターと彼の友人たちを部屋に連れて行くのに付いて来さえすれば、寮について必要なことはすべてわかるからね。ホグワーツでの時間を楽しんでくれよ。そもそも、楽しめないはずがないけどね。なんてったって、君は学校一の寮の一員になったんだ。[3]

パーシーは監督生として入学したばかりのグリフィンドール生を寮に連れて行きました。

10月末、ハロウィーンにトロールが侵入した際にはグリフィンドール生を安全に寮に連れて戻る任務を負いました。この年のクリスマスにはホグワーツに残り、弟のフレッドとジョージからモリーお手製のウィーズリー家のセーターを無理矢理着せられました。6月にはO.W.L.試験を受けました。

妹のジニーによると、パーシーはこの年の夏休み中、レイブンクローの監督生ペネロピー・クリアウォーターに手紙を書いていて、二人はやがて付き合い始めます。

ホグワーツ6年生(1992年9月~1993年8月)

ホグワーツ7年生(1993年9月~1994年6月ごろ)

成績優秀で規則を厳格に守るタイプのパーシーは、ホグワーツの7年目を主席として迎えました。

ホグワーツ卒業後(1994年7月ごろ~)

国際魔法協力部

ホグワーツ卒業後は魔法省に入省し、バーティ・クラウチの部下として国際魔法協力部で働きはじめます。

魔法大臣付下級補佐官

この項目は書きかけです。中の人は項目を増やすのに必死なので、生暖かい目で見守っていてください。

「パーシーは大得意で家に帰ってきた――いつもよりずっと大得意さ。そんなことがありうるならね――そして、親父に言った。ファッジの大臣室勤務を命ぜられたって。ホグワーツを卒業して一年目にしちゃ、すごくいい役職さ。大臣付下級補佐官。パーシーは親父が感心すると期待してたんだろうな」  「ところが親父はそうじゃなかった」フレッドが暗い声を出した。[4]

1995年夏、パーシーの弟たちや妹がホグワーツから戻ってから1週間したころ、パーシーは家に帰ってくると、自分が当時の魔法大臣コーネリウス・ファッジの大臣室勤務を命じられたと父に伝えます。ところが、この知らせは、パーシーとその他の家族、特に父アーサーとの決裂の原因となりました。

ヴォルデモート卿の復活に際して戦いの準備を進めていたアルバス・ダンブルドアと、ヴォルデモート卿の復活を信じようとしない魔法大臣コーネリウス・ファッジと魔法省とは対立関係にありました。ファッジはパーシーを自分のそばに置いておき、パーシーを通じてウィーズリー家、さらにはアルバス・ダンブルドアやその陣営の情報を手に入れようとしている、とアーサーは考えていました。

父アーサーと言い争いになったパーシーは家族との縁を切り、魔法大臣コーネリウス・ファッジや魔法省の路線に忠実である姿勢を見せ、ロンドンで一人暮らしを始めます。

1996年6月、神秘部の戦い後に魔法省はヴォルデモート卿の復活を公式に認めますが、パーシーは家族とよりを戻すことはないまま、1997年8月の魔法省の陥落を迎えました。

ホグワーツの戦い

1998年5月、ホグワーツの戦いが始まる際にパーシーはアバーフォース・ダンブルドアと連絡を取ることに成功します。ホグワーツ城必要の部屋に潜入すると、既に不死鳥の騎士団とホグワーツ教師陣の加勢に入っていた家族に合流しました。

パーシーはホグワーツの戦いを生き延びたものの、すぐそばで戦っていた弟フレッドを失いました。

ホグワーツの戦い後(1998年5月~)

2014年までにオードリーという名の女性と結婚し、モリーとルーシーという二人の娘が生まれました。

ちなみに、赤毛を見かけたら、誰もがそれはウィーズリー家の者だと推測することであろう。しかし、それがジョージ(ウィーズリー・ウィザード・ウィーズの裕福な共同経営者)であるのか、チャーリー(ドラゴン使い、なぜかいまだに独身)であるのか、はたまた、パーシー(魔法運輸部部長―煙突飛行ネットワークが混みあった場合、責任は彼にある!)であるのかを見分けるのは難しい。[5]

2014年7月、パーシーはきょうだいやその家族とともに、パタゴニア砂漠で行われたクィディッチ・ワールドカップの決勝戦を観戦しました。魔法運輸部の部長に昇進したパーシーの赤毛には白髪が増え、禿げてきたとリータ・スキーターに報じられました。政敵はパーシーのことを「つまらぬあら探しをする官僚」といいますが、「一度知り合いになればそんなに悪い人じゃないとわかる」ともいわれているようです。[6]

登場

参照

  1. リニューアル前のJ.K.ローリング公式サイトで表示されていた。MuggleNetの作成した一覧をアーカイブしたものが閲覧可能。
  2. パーシー・ウィーズリー 調査ファイル - ワーナー・ブラザース
  3. ポッターモア J.K.ローリングからの新着コンテンツ グリフィンドール寮 歓迎メッセージ
  4. 『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』第4章
  5. Pottermore - 08 7月 2014「クィディッチ・ワールドカップ決勝戦にダンブルドア軍団再集結」
  6. Pottermore - QUIDDITCH WORLD CUP FINAL